11月5日、サンアントニオで、テキサス州土地管理庁とアラモの砦の主催、サンアントニオ日米協会の下、故志賀重昂教授のアラモの砦への石碑寄贈100周年行事が開催され、高岡総領事が出席しました。1575年、長篠城を脱出して、徳川家康軍に救援を要請し、命と引き換えに朗報を伝えた鳥居強右衛門のエピソードが、1836年、援軍の朗報を伝えるためにアラモの砦に引き返し、命を落としたジェームズ・B・ボーナム氏のエピソードと類似していることから、志賀教授は、両勇士を称える詩文を刻んだ石碑をアラモの砦に寄贈しました。
高岡総領事は挨拶で、志賀教授の石碑の100周年を祝い、同石碑が日本とサンアントニオ市の友好関係を促進する役割を担ってきた旨述べ、今後の同関係のさらなる発展に期待を示しました(リンク)。また、ジェリー・パターソン・テキサス州土地長官が、本式典のためにサンアントニオ市を訪問した日本からの訪問者を歓迎するとともに、アラモの砦の重要性を増すものとして同石碑を称えました。この他、ライラ・コクレル・サンアントニオ元市長やネルソン・ウォルフ・ベア郡長、ピーター・サカイ・ベア郡裁判所判事、ジェイン・アン・スレイター・レイク大学学長が挨拶をしました。また、本式典の開催に携わったマーギット・ネイギー・レイク大学教授が同石碑を記念した過去のサンアントニオと日本との交流事業について説明しました。
日本からは、1986年にも志賀教授の肖像画を贈呈のためサンアントニオ市を訪れた国際フレンドシップ協会のジュニア大使派遣団や、長篠城のある新城市を代表して鳳来中学校代表団が式典に参加し、及川伊佐子同協会事務局長及び原田隆行同学校校長が挨拶しました。
翌6日に開催されたサンアントニオ市議会で、アイビー・テイラー市長より同式典について言及され、ジュニア大使派遣団及び鳳来中学校代表団が歓迎を受けました。また、高岡総領事が挨拶し、サンアントニオ市が日米関係にとって重要な役割を果たしていることに言及しました(リンク)。 |