2007年度新年祝賀会での挨拶 2007年1月9日

在ヒューストン日本国総領事 加茂佳彦

 

新年明けましておめでとうございます。ここに皆様をお迎えしまして新年を祝うことができますことを大変嬉しく思います。今年も皆様方のヒューストンでの生活に少しでもお役に立てるように私共総領事館も努力して行く決意でございますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

 

どこの職場もそうかと思いますが、私共も新年に当たり、組織の長である外務大臣からの年頭訓示を受け取りました。一言でいうと、在外の大使、総領事は「動く広告塔」になれとの指示でした。日本という商品を売る外交員に徹せよと言うことなのです。日本には「人口に膾炙する」という言葉があります。物の良さや面白さが世間に知れ渡るとの意味ですが、日本的美風の下では、中身がしっかりしてさえいれば、黙っていても自ずと人口に膾炙するとされてきました。日本は今急速にこの昔からの道理が通らない世界に追い立てられています。日本を売り込む「動く広告塔」になれとは、いったい何が起こっているのでしょう。私は、グローバリゼーションが世界的な大競争状況を生み出し、日本もそのうねりに巻き込まれているのだと思います。宣伝や自己主張を通して日本の存在を不断にアピールしておかないと、日本の実力をもってしても人口に膾炙せずに埋没してしまうような厳しい時代になってきたのです。

 

昨年の日本の流行語は「品格」と「格差」だと聞きました。日本は拝金主義、功利主義に流されて、伝統的な価値観、社会道徳が衰退する国家に成り下がってしまったという賢者の嘆きや、日本は市場原理主義に魂を売り渡したために、不必要且つ耐え難い不平等が社会にはびこるようになってしまったという識者の警告が、国民的な共感を呼びました。顧みれば長らくデフレ不況に喘いでいた日本ですが、企業努力や小泉改革により近年漸く経済破綻の危機を脱し、一息つける迄に回復しました。その時、辺りを見廻したら、格差の拡大や伝統的価値の喪失に気づき愕然としたということなのでしょう。この「格差」や「品格」も「動く広告塔」と同じく、グローバリゼーションがもたらした全地球的な地殻変動と無縁ではないように思われます。即ち日本としてもグローバリゼーションへの対応を迫られ、それに着手したが故に、伝統的価値観が揺らぎ、「品格」や「格差」の論議の高まりを見るようになったのでしょう。

 

この厄介なグローバリゼーションを扱った番組を先般テレビ・ジャパンが放映していました。出演者の議論は噛み合わずすれ違いに終わり、改めてグローバリゼーションへの取り組みの難しさを感じました。特徴的なのは、「格差」や「品格」等日本国内に現れたグローバリゼーションの陰の部分を強調する人は、日本が置かれている国際環境(中国との競争)に無頓着で、希望的観測に基づく発言に終始していたのに対して、日本のグローバリゼーションへの対応が不十分だと警鐘を鳴らす人も、具体的にどうすべきなのかにつき明確なビジョンを示せずにいました。

 

グローバリゼーションは選択の問題ではなく現実です。これにより裨益する人の数が空前の規模に達することや、米国を始めとする先進国、中国に代表される途上国の双方が恩恵を被ること等画期的な経済・社会現象です。その成長は不可逆的であり、勢いは増すばかりです。旧来の日本の経済的成功はグローバリゼーションに依拠したものではありませんでした。しかしながら、日本だけが世界の潮流から途絶して繁栄を謳歌し続けることは不可能です。グローバリゼーションがもたらす国内での諸矛盾は悩ましい問題ですが、やはり、グローバリゼーションに真正面から向き合うしか選択肢はありません。競争力強化も国内矛盾の克服も両方とも重要ですが、国として最も優先すべきは、日本人及び日本企業がグローバリゼーション時代の国際競争に遅れをとらないようにすることでしょう。

 

ではさて具体的に何をすべきか。安倍内閣は構造改革の継続と教育改革の実施を重点課題に掲げています。テレビ・ジャパンの番組でもグローバリゼーションの対処には、教育が重要だとの指摘がなされていました。では何を教えるのか。私見では、「日本の常識が世界の非常識」である場合があることを、先ず、教える必要があると思います。その一つの例が日本における弁論術の相対的軽視でしょう。日本では自己主張ではなく謙譲が美徳とされ、言葉の論理による説得や交渉よりも「空気」を読むことや以心伝心による暗黙知が尊ばれます。他方アメリカでは、自分の意見を言わなければ無能者と見なされてしまいます。また身近な例ですが、日本人は見知らぬ人と軽い挨拶を交わすことが苦手です。それが得意なアメリカ人から怪訝に思われることもあります。このように日本では当たり前の慣行も外国では必ずしも通用しないことを国民規模で会得し、そのことから不利を被らないようにする必要があると思います。世界共通語としての英語に対する屈折した思いも克服したいものです。和製カタカナ英語の氾濫に見られるように日本人は好んで英単語を語彙に取り込んできましたが、それでいて英語力の有無が立身出世と無関係な社会を築いてきました。日本人の英語力のなさは、逆説的ですが、日本の豊かさのシンボルですらありました。それがグローバリゼーションの今日では深刻なハンデとなっています。英語は必要な人たちが学べばよいとする時代はグローバリゼーションの到来とともに過ぎ去りました。

 

ここヒューストンに住まう日本人は、日本人全体を代表する「ザ・セレクト・フュー(選ばれし者)」です。私だけでなく皆様方も、好むと好まざるに拘わらず、日本の「動く広告塔」であります。我々の言動が、日本の存在を地元に印象付け、当地の対日認識形成に大きな影響を及ぼします。逆方向の、日本の同胞に対する「グローバリゼーション最前線の目撃者」としての役目も重要です。ヒューストンでの我々の経験が、グローバリゼーション時代の日本人全体の道標となることもあるかと思います。商工会広報誌「ガルフストリーム」の新年号に私見を寄せましたので、ここでは詳しくは申し上げませんが、地元社会、特に、アジア系社会との付き合いの中から、参加、協調、連携の術を学んで行くことが、我々「ザ・セレクト・フュー」の使命ではなかろうかと思います。

 

最後に、麻生外務大臣の外交ビジョンの一端を雄弁に謳った「自由と繁栄の弧をつくる」スピーチをご紹介したいと思います。その発想の伸びやかさに新風を感じます。受付の机上にコピーをご用意いたしましたのでお持ち帰り頂きご一読願えれば幸いです。2007年がご会同の皆様方にとりまして伸びやかな新風を感じる希望の一年となりますことを祈念致しまして私のご挨拶の結びと致します。ご静聴有り難うございました。